郡山医療生活協同組合

郡山医療生協について

私たちについて

医療生協とは?

地域の人々が、
それぞれの健康・医療と
くらしにかかわる
問題をもちより、
組織をつくり、
医療機関をもち、運営し、
それらを通して、
その医療機関に働く
役職員・医師をはじめとした
医療専門家との協同によって、
問題解決のために運動する、
生協法にもとづく
住民の自主的組織です。
(日本医療福祉生活協同組合連合会より)

組合員写真

全国には110の医療生協があり、
組合員数は約292万8千人。

組合員は、事業所の利用とともに、自主的に班をつくり、健康づくりやたすけあいの活動をおこなっています。医療生協に加入するときに出資する資金(出資金)が事業所の運営の元手になります。 全国には110の医療生協があり、組合員数は約2928千人。県内には5つの医療生協があり、そのうちのひとつとして郡山医療生協は郡山市を中心に活動を広げています。

「地域」まるごと、健康づくり。

右記の文章が、私たちがもつ健康観です。
これにもとづいて、地域の支部や班での幅広い健康づくりの活動や要求実現、病院における保健・医療活動を展開しています。
いつまでも元気に過ごすために、日頃からの健康づくり活動を医療生協は応援します。

私たちの健康観

昨日よりも今日が、
そして明日が、
いっそう意欲的に生きられる。
そうしたことを可能にするため、
自分を変え、社会に働きかける。
みんなが協力しあって
楽しく明るく積極的に
生きられるための
組織が医療生協です。

郡山医療生協の生い立ち

コンクリートを崩して、
種を蒔くようなもの。

生協設立の種まき人32名の想いから始まった。

作家宮本百合子の処女作、「貧しき人々の群れ」の舞台となった旧桑野村。
その一節、「村の南北に通じる往還に沿って一軒の農家がある。人間の住居というよりも、むしろ何かの巣といった方がよほど適当しているほど狭い家の中………。」方や荒涼たる「安積原野」に鍬を入れ、猪苗代湖から疎水を貫通させた精神。桑野村は貧困と開拓精神の双方が存在していました。そのような土地柄を背景に昭和45年、小さな旅館の声を始めとして、ぜひ郡山にも民主的な医療を創りたいとの機運が高まりました。

すでに県内は、「浜通り医療生協」「福島医療生協」などの診療所が展開されていました。
しかし、想いはた易く取り組みは困難を極めたのです。「賛同者」「組合員づくり」「出資金」「医師確保」などの問題です。その様相を、次のように表現された方がいました。「コンクリートを崩して種を蒔くようなもの」、「混沌する濁流から清流、本流を求めて」………。昼夜分かたつ奔走した生協設立の種まき人32名。退職校長、現職教員、公務員、会社員、主婦など様々な方の力が土台となりました。

沿 革

1970
小さな旅館の声を始めとして、郡山にも民主的な医療を創りたいとの機運が高まる。生協設立の種まき人32名(退職校長、現職教員、公務員、会社員、主婦など)昼夜分かたつ奔走する。
1972
創立総会
1974
待望の「桑野眼科診療所」が開設されました。
医師一人、看護師、事務員、必要最小限の船出。
1980
桑野協立病院開院(52床)
1983
健康管理部設置
1985
桑野協立病院増改築(124床)
1989
組合員センター「ふれあい」完成
1994
桑野協立病院リニュアル
アイメイト桑野(眼鏡店)オープン
1995
桑野在宅介護支援センターオープン(郡山市委託事業)
1996
訪問看護事業開始
1998
医療生協のよびかけ、地域の人々と
「社会福祉法人 くわの福祉会」を設立
1999
くわの福祉会「特養ホームおおつき」開所
郡山東在宅介護支援センターオープン
2000
介護サービス事業所オープン
居宅介護支援事業、訪問介護事業、通所リハビリ、訪問リハビリ事業開始
2002
ふれあいデイサービスオープン
2005
西部地域包括支援センターオープン(郡山市委託事業)
2008
桑の実デイサービスオープン
2011
ひなたぼっこ開設(グループホーム、小規模多機能型居宅介護)
2015
病院増改築完成(120床)
2016
サービス付高齢者住宅なのはな開設