2011年9月 6日(火)

長期間ご支援頂いた山根さんからのメッセージを紹介します。

 090602.jpg 山根香代子さん(神戸医療生協)


 8月30日に神戸に降り立った途端、熱気が私を包みました。翌日は早速、ハローワークに足を運び、その後は毎日日参。9月2日は台風到来。郡山の静かな生活が嘘のようです。1か月とちょっとでしたが協立病院に大変お世話になりました。暖かく接して頂きボランティアなのにこんなによくしていただいて、感謝しています。
 普段と何ら変わらない医療活動が営まれている中に、医療支援に行くとはどういうことが求められているのだろうか、果たして定年後の人間が役に立つことがあるのだろうか?等々自問をしながら郡山に向かいました。 一つの結論として、何も出来なくても、県外の人間が支援に行くという行動は、福島の人たち(スタッフ)に、県外には福島の事を思っている人間もいると言う連帯感を感じてもらえるかもしれない、そういう思いで来ました。 私たちも16年前に震災に会いました。「震災でパンドラの箱が開いてしまい、僕たちは見てはならぬものを見てしまった。見てしまった僕たちがしなければいけないことは?・・」とある人が言っておられましたが私も同感でした。
 すべてが壊れてしまった、システムなんて意味を持たなかった時間を経験しました。そんな中で生まれて来たのが?ボランティア??新たなコミニティ作り?神戸の人間はこのテーマと対峙して来たと思います。神戸の仲間が今もなお被災地支援を続けているのは、そんな経験をしたからだと思います。放射能汚染と言う重い課題と直面しなければならない、福島の皆さんの課題は、長期にわたるものでしょう。
 もうひとつ震災を経て実感したことは、医療だけではもろい。多くのひとびととの関わりの中で医療はあると言うことでした。異業種の人々との関わりを持つことはとっても大切と言うことでした。未来を確信していくためにも。

 今後とも私に出来る支援は続けて行きたいと思っています。それではみなさんお元気で。

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