2011年9月14日(水)
酒井さん(京都民医連)
一週間という短い期間でしたが、佐藤総師長はじめ、石井師長、病棟スタッフの皆様に温かく受け入れていただき、非常に気持ちよく働くことができました。本当にありがとうございました。また、坪井院長、宮田専務、江川事務長、今泉課長等、短時間の支援者にも細やかな心配りをしていただき感謝しています。現場から離れて何年も経っており何ができるのかという思いはあるものの可能なら何かしたい、何でもしたいと思い支援を申し出ました。震災直後の3月14日から5日間坂総合病院に支援に入ったことが、私の中では強く印象に残っています。震災に加えて津波の被害の大きさに驚きと信じがたいものがありました。支援から戻った時に、どちらが現実なのか自分の中で区別が付かない状況がありました。その後、原発事故がどんどん大きくなっていくことに、何か人間の無力さや、そこにいない人間であるという罪悪感、被災地の人だけに苦悩が背負わされているのではないかというような感覚になりました。誰かのためというよりも支援やボランティアに参加することで、そんな自分の気持ちを抑えたいのかなと今になって考えています。
桑野協立病院は、民医連、生協の匂いのする病院で居心地の良い所でした。病棟の皆さんには温かく迎えていただきました。支援者の不安をまず、総師長さん、事務長さん、専務さんなどが挨拶に来ていただき、ほぐしてくれました。そして病棟でいただいたメッセージカードでまた不安がほぐされました。そして皆さんの笑顔と声かけでホッとしました。初日、月曜日の午後半日入らせていただいただけで、いい職場だと思いました。また患者さんやご家族の方も親しみやすく、それぞれの個性が大切にされていると感じました。一週間経て、やっと患者さんの名前と顔が一致するころに支援が終了するのは、とても申し訳ないと思いながらも残してきた仕事も気になりかけてきています。皆さんには、しっかり休みを取りながら働き続けていただきたいということと、福島や被災地の苦悩はそこだけの問題ではなく、皆で受け止めていかなければいけないことだということを、大変だとは思いますが発信し続けていただきたいと思います。私も日常の煩雑さに埋没しながらも、そこに自分を引き戻し、引き戻ししながら生きて行きたいと思います。ありがとうございました。