2011年9月21日(水)

帰任されたみなさんからのメッセージをご紹介します。

092102.jpg 西本 奈々恵さん(広島医療生協)

 

 2週間でしたけど、お世話になりありがとうございました。福島に来る前は、正直放射能のことはもちろんですが、3年目の私が来てしまって良かったのだろうかなど、不安がたくさんありました。でも初日の半日で、スタッフのみなさんが笑顔で迎え入れて下さり、またみなさんの人間関係の良さもすぐ分かり、不安はなくなりました。きっと、この人間関係の良さは、震災後にみなさんが協力し合って出来た絆なんだろうなと思いました。
震災後、建物が修復などされ、震災前と同じように戻っては来ていると思いますが、みなさんの受けた恐怖やこれからも戦い続けていかなければならない放射能の問題など、簡単には消えないと思います。でも、その中で、スタッフさんは笑顔で患者さんにも支援の私達にも接している姿を見て、福島の人柄の良さ、病院・病棟の素晴らしさを感じ、本当に毎日が私にとって居心地が良く、私が元気をもらったような気がします。
2週間という短い間でしたが、ここへきて福島の温かさに触れ、スタッフのみなさんと出会え、また原発についても考える機会を与えていただき、身に染みるほどいろいろと学ぶことができました。全くと言っていいほど役に立てていなかったと思いますが、福島・桑野協立病院に来て本当に良かったと思っています。

 

092103.jpg  本山 礼子さん(京都民医連:葵会)


 支援を受入れて頂き本当にありがとうございます。郡山駅に降りたところで、町は変わっていないのではと思いましたが、市役所の窓ガラスが板になっているところが何枚かあり、屋根にブルーシートがかかっている所もみられて、地震があったことを感じました。
 病院に入り、小規模多機能ひなたぼっこに入ることになりましたが、何ができるのか正直2?3日考え込みました。何ができるかとえらそうに悩んだことが間違いで、5月に立ち上げたというばかりなのに、スタッフと利用者の話す事、接触の仕方を見ていると、温もりのある言葉、利用者一人一人を大切にしている、どうしてこんな接し方ができるのかと思います。
 利用者の方には、家族がバラバラにさせられた人、孫だけが仙台に行っている人、震災を機に認知症が進んだ人、「農業をしていたが出来なくなった、だが気になり本当はこんな所に居る場合じゃない、早う畑に行かな、帰ります」と何回も繰り返す人、原発は人をも変えてしまったようです。
 院長先生の学習会、師長さんの話の中で職員、家族、地域を守らなければと全力を注いだ半年だったようで感動しました。地震だけでなく、見えない放射線と闘っていかなければ恐怖と不安の中でこの地で生きて行かなければならないとはどう言う事なのか考えさせられました。日本に多くの原発があり、東北だけの問題ではないと強く思います。学習会もして、原発の怖さとどう向かい合っていくのか。 全国からの支援が得られるのは民医連ならでは、民医連でこそなのですね。

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