2012年2月 8日(水)

青木さんからのメッセージをご紹介しす。

 020802.jpg  青木さん(石川:城北病院)

 

 生まれて初めて郡山に来ました。かなり緊張していたのですが、町は何もなかったように淡々としており、また冬とは思えない好天にほっとしました。しかし、テレビをつけると天気予報のように放射線量が報道され、事の重大性を再認識しました。震度1?3の地震は、現実としてとても怖かったです。震災の日の事を考えたり、その後続いている余震が怖かったりして眠れない日もありました。

病棟は、毎日忙しいのですが前向きに皆で協力されている姿がありました。その仲間の一人として働かせていただけたことに感謝します。久しぶりの処置などとても楽しくさせていただきました。失敗も多かったのに皆さん「大丈夫ですよ」と、優しく声をかけていただきとても嬉しく明日も頑張ろうと思えました。朝会は、毎日の患者数や感染症の状況、一日の経営報告がおこなわれ、情報を皆で共有する場となっており、参加することで病院全体の動きも少し分かりました。また、毎日の安全標語の唱和は、新鮮で参考にさせていただこうと思いました。注射プロセスに関しては、徹底した二人以上の声だし確認はすばらしいと思いました。

休憩中に聞く震災当時の話や患者さんのエピソードには胸が痛みました。浪江町から転々とした後、入院され亡くなった患者さんの、「死んでも地元に帰れない」という現実を目の当たりにして、いいようのない憤りを覚えました。患者さんとは、処置行為を通じていろいろと話をすることができました。窓を開けられない悔しさなどの話をしながらも、私への感謝の言葉を言ってくださり、最後の日に手紙まで頂きました。そして、「ここで起こっていることを伝えて欲しい」と言っておられました。ほんの2週間の支援者の私に歓迎会や歓迎メッセージ、最後に病棟からのアルバムやメッセージを頂き感動しました。

 院長先生の学習は勉強になりました。こんな現実があるのに、 なぜ国や東電の対応が遅いのか悔しさが怒りとなりました私の地元でも志賀原発がストレステストをしているところですがここでの見えない敵と戦っている現実を伝え対応していきたいと思います。 最後に、支援にきたのに暖かく迎えていただき本当にありがとうございました。“イカにんじん”のお土産ありがとうございました。とても美味しかったです。これからも困難が多いかと思いますが身体に気をつけて共にがんばりましょう。

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