2012年2月10日(金)

核害の街に生きる 『食品について』  院長 坪井正夫  

021001.jpg 院長 坪井正夫  

 

科学者会議緊急特別講演(立命館大学 安斉育郎)を基に提言します。


 食品の汚染状況が報告されるようになっており、今後もかなりの期間、有意の放射能汚染が続くものと思われます。現在公表されている汚染レベルの食品を1年間摂取続けたら被曝がどれくらいになるかを評価し、その結果を「CTスキャン1回分あるいはそれ以下」などとする説明は、メリットのあるものと無いものを同列に並べている面で、見識が問われることと思う。汚染状況に関する情報を公表し、それを利用することにともなうリスクの程度を示し、後は消費者の選択の自由に委ねてほしいと希望しています。

 

我々としては何時でも何処でも誰でも自由に食品の汚染度合いを知ることが出来る場所と機器を必要としているし、その設置を急いでいるところです。(自己決定権の主張)。
 放射線防護学の原則からすれば、汚染食品と汚染していない食品がある場合には、汚染していない食品を選ぶことになるが、汚染レベルが取るに足らないレベルでも、一般に、人は「数値によって理性的に怖がる」訳ではない。放射線は、身体的、遺伝的、心理的、社会的影響をともない、心理的影響は、一般に、定量的に扱うことは出来ない。

 

政府や自治体は食品の汚染状況を検査して、その情報を公表し、基準値以上のものは出荷停止措置をとる必要がある。
 汚染地域の食品は、たとえ基準値以下の汚染度合であっても「風評」によって市場価値を失う。生産者は自らの責任に属さない原因で多大の損害をこうむります。国は補正予算を組むなどしてこれらを補償したり、買い上げるなどの財政措置を講じる必要がある。汚染食品を値下げして「経済的メリット」を対置することは可能だが、それを消費者が購入するかしないかは消費者の選択の自由に属する。
 当該汚染食品を摂取してもそれによるリスクは自然放射線の地域的変動の範囲内だとした場合、「その程度の汚染食品は怖がらずに食べるべきだ」と考えるのは一つの立場だが、他に選択肢がある場合(汚染されていない食品がある場合)やはり「汚染レベルがわずかでも、汚染食品は選ばない」という消費行動も、同じように一つの立場である。そのような消費行動を「非科学的、非理性的」と批判することも自由だが、人は常に科学的、理性的に行動するわけではない。

 

いずれの方向を見渡しても汚染食品きり手に入らないという状況も存在しうる。   
 これは常に私どもが想定していなければならない状況です。

 

その時のために調理方法を研究したり、サプリメントの活用を考えるということは大変に重要なことです。
 また、検査体制が整わない現在でも、目の前の食品が汚染されているものと考えて、調理方法を駆使し、サプリメントを活用することは深い意義があります。
以上述べたことすべてが「核害の街に生きる市民の生存権」の主張です。

 

    

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