2012年2月22日(水)
小さなシャベルで砂山をつくる子どもたち、駆け回る子に「危ないよ」と声をかけるお母さん。そんな当たり前の姿が消えた3月11日。あの日から、私たちは大きく変わりました。見えない放射能の恐怖に悩み苦しみながら、安心して暮らせる故郷郡山を、安心して生産することができる大地を、何よりも安心して子育てができる故郷を取り戻そうと手をつなぎだしました。学校、家庭、道路から、そして、農地、山林、川から放射能をなくそう、子どもたちが元気に遊べる場所をつくりだそう健康チェックも食べ物検査も、誰もが、いつでも、どこでもできるようにと力を合わせはじめました。
遅々として進まない対策に怒りをこめて、東京電力と政府に全うな責任を果たせと迫る郡山市民の声。この声がさらに強く大きく広がるように私たちは呼びかけます。
私たちが安心して暮らしていくために求めるのは、
1.原発の全廃炉と再生可能な新エネルギー開発への転換
2.国の責任で最終処理分場を決め、徹底した速やかな除染
3.水と食料品の検査をいつでもどこでも依頼できる体制
4.放射能被害からいのちと健康を守る医療制度の確立
5.放射能汚染がもたらした全ての被害への賠償
家族が一緒に暮らせ、子どもたちが外で元気に遊びまわる当たり前の幸せを取り戻すために、生き方も、考え方もちがう私たちが、つどい、学び、共に力を合わせる共同の場、市民の会。さあ、あなたもご一緒に。
[母親の想いを訴えるくわの福祉会の職員]
2012.02.19
原発廃炉・暮らしと健康を守る郡山市民の会