2012年3月17日(土)
鶴田さん(近畿高等看護専門学校)
私は、震災当日から何か支援できないか、何かお手伝いすることはないか考えてきました。しかし、仕事の関係で都合がつかずカンパ袋に義捐金を支援させてもらうことで約一年が過ぎました。
12月に上司との面接で支援に行きたい旨を伝え今回、この機会を得ました。いざ支援が決まると、何ができるかということを考えました。まずは自分の体調管理をしっかりして支援当日、万全で行けるように心がけました。そして、自分が抱えている仕事を少しでも整理して支援後に影響が出ないようにしました。とにかく、支援するということは、その前後もしっかり整えることが必要ということをつくづく感じました。
支援当日、病棟スタッフの元気の良さに驚きました。石井師長を先頭に震災と原発の悪夢を一致団結して乗り越えるという強い意志を感じました。そして皆が「いたわり」「助け合い」「感謝する」という気持ちを大切に、日々の日常業務にあたられているという姿に驚き、この方々の「力」にどうすればなれるか戸惑いました。とにかく「私を使ってもらう」ことに徹しようと決め6日が過ぎました。今この6日間を振返ると、オリエンテーションの時オリエンテーションの師長の腕に鳥肌が立っていたこと、震災時の支援の状況をお話していただいた時に涙ぐむスタッフ、東電が示した理不尽な補償に涙ぐみ憤りを訴える姿を目の当たりにして、私も心が痛かったです。でも皆さん、大丈夫です。大いにつらさ、憤り、悲しさ、大いに語ってください。我々仲間がしっかりと受けとめともに闘い、そして支えます。「大丈夫ですよ」
今回の支援でスタッフの皆さんが常にかわされていた言葉「大丈夫ですよ」「大丈夫?」「ありがとう」逆に元気をいただきました。ありがとうございます。