2012年5月28日(月)
上図は、米国の乳児1000人に対する死亡率をです。年ごとに始めは下降していきますが、途中で急に下降が止まります。それはネバダの核実験が始まったときです。それ以降、核実験のたびに乳児死亡率も合わせて上昇しています。これは米ソ英による大気核実験停止条約が締結される1963年まで続きます。しかし、中国とフランスは核実験をつづけました。1961年に北シベリアでソ連が5000万トンのTNT爆弾に相当する巨大な原爆実験をしました。広島原爆は1万キロトンTNTでした。広島の5千倍の威力の原爆です。 これから世界中の子どもたちにガンや白血病が発生することが予想されました。 そしてその後、実際にそうなりました。
アーネスト・スターングラス博士は核実験を止めないと世界中の子どもたちにガンや白血病が発生することになると「サイエンス誌」で警告しました。そこでケネディ大統領はテレビとラジオで演説し「われわれの子どもたちの骨に含まれるストロンチウム90や血液中の白血病細胞をなくすために核実験をやめなければいけない」と国民に呼び掛けました。1970年以降(大気圏核実験中止)、乳児死亡率が下がりました。しかし、すべての州でベースライン(核実験がなかった場合に予想される乳児死亡率)に戻りませんでした。多くの州では乳児死亡率の下降が止まってしまいました。ベースラインとの差がまだありました。乳児の低体重率は条約締結後に低下し、そのまま降下するはずでした。しかし、2つのことが起こりました。
スリーマイル島事故が起こりました。その後しばらくして乳児低体重率の下降が止まり上昇し始めました。
それから1986年のチェルノブイリ原発事故です。それによって放射性降下物質が世界中に広がりました。低体重率はその後上昇し、大気核実験が行われていた時期と同じレベルに戻ってしまいました。このころから明らかになったことは、放射性降下物が、原子炉事故と原子力発電所の通常運転による放出にとって替わられたと考えられることです。
上図はコネチカット州の乳がん発生率です。同じように1935年から1945年までガンの発生率は上昇していません。実際、多少減少傾向でした。
そして核実験中に上昇し、1967年にコネチカットで最初のハダムネック原子炉が稼働すると急激に上昇します。1970年にミルストーン原子炉が稼働するとその5〜8年後に大きく上昇します。
核と人類は共存できない!