2012年9月15日(土)
9月7日(木)病棟の看護師支援に入られている東神戸病院の河石茂子さん、大阪の耳原病院勤務の井口尚子さんと一緒に富田町にある富岡の仮設住宅を訪問してきた。
一度、7月の末に訪問し、桑野協立病院の患者様であり、1支部のミニディでのつながりもあった方なので、アポなし訪問にも嫌な顔をせず迎えて頂いた。
河石さんはご自分も阪神淡路大震災で被害を受けたこともあり、被災者の方と涙ながらに話しているのが印象的でした。被災した当時のなまなましい話、ここの仮設に辿り着くまでの恐怖と借り上げ住宅で誰も知らず、心が折れそうになったことなど話は尽きず、あっという間に2時間が過ぎてしまった。
目を閉じれば聞こえる小川のせせらぎ、子ども達の笑い声、耕運機の音、せみの声、そんな些細なことも全て奪った原発、「返してくれー」と叫ぶ声が耳から離れない。
そして、東電や、政府の人は是非ここに住んでみて、どれだけ大変か分って欲しいと悲痛な声で訴えていた。
また、東電を悪く言うことはできない、自分達が選んだのだから、東電のお陰で、道路も設備も整備された事実もあると複雑な心境も。
原発ができるとき、その当時の村長は「そげんもん作ったら、先祖代々の土地から草木の一本も生えなくなるぞ」と言って反対したという。村長は草葉の陰でどう思っているかなど貴重な話も聞くことができた。
阪神淡路のときは土地が復旧さえすれば帰れる。しかし、今回の原発の被害は見えないものとの戦いで、言葉では言い表せない悲痛なものを感じ、家族も仕事も何もかもお金で分断する政府のやり方を改めて感じたと感想を述べていた。
副理事長 増子清子
東神戸病院の河石さん、耳原病院の井口さんと