2013年2月13日(水)

私達が、「話せる人、話せる場」を作っていく 

私達が、「話せる人、話せる場」を作っていく  
  
 お茶会が開催された後、参加された方に病院でお会いする機会がありました。
「ありがとうホント楽しかったよー」と何度もお礼を言われました。
人と人とがつながりがまた増えて、私をわかってくれている人がここにいる。そんな笑顔に見えました。
 お茶会の時、新潟県柏崎市から駆けつけて下さった方がいました。避難者「サロン」の責任者と柏崎市社会福祉協議会の職員の方お2人で、福島からの避難者のために震災後すぐに「サロン」を開き、物資の供給と情報発信を行ってきたそうです。現在も「サロン」は続いていて、避難者自身が自分たちのやりたいことや思いを実現していく活動を続けていく中心拠点となっています。例えば、和紙ではがきをつくり、避難者が自分の体験や思いを文章にし、印刷して販売する。震災や原発事故を風化させたくない、伝えていきたいという被災者自身の思いから実現されたそうです。
 避難者をすべて把握している行政が、広報活動や地元のネットワークを活用して「サロン」の運営や活動をバックアップするなど、連携や協力体制がしっかりとあって活動が継続されています。2度の地震から復興を成し遂げ、被災者を支えてきた経験や実績があるので、「支援のノウハウ」はすばらしく、力強いものでした。
サロン責任者の方は、 「私は何もしていません」「人と人をつなぐ仕掛けや話をじっくり聞いて背中を少しだけ押しているだけです」といいます。「話しがしたいとき、そこに私がいることが大事」なのとサロンに常駐しているそうです。時が経って福島へ戻られた方からも電話で相談されることもあり、福島にも話せる人、話せる場があればいいなと思い福島に足を運んでみたとのことでした。
 人は、安全基地(心のセーフティーネット)を持たないと自立していけない と言います。
今回訪問している避難者の方々は、桑野協立病院の患者さんです。
何かの縁で郡山に住み、病院の近くに居を構え、病院を利用し、そしてこれからも長くお付き合いする方々だろうと思います。であれば、私達が「話せる人、話せる場」を作って行く必要があるのではないでしょうか。お茶会を続けていくことはもちろんですが、病院を受診したとき、職員と何気ない日常会話ができるようなつながりをつくり、職員が「話せる人」となることはとても大切なことだと思います。そして、生協活動へ、各支部のたまり場へ、班へと人と人とのつながりを広げ、たくさんの居場所(話せる場)ができればいいなと思います。
訪問やお茶会の折は、お誘いしますので是非ご参加下さい。

 

桑野協立病院相談室 朽木暁美

 

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