2013年4月 9日(火)
ずっとずっと・・・「あれからどうされているのかな??」と密かに思いながらいた私でしたが再開できる話があり、包括支援センター・組織部と一緒に早速足を運んでみました。
大熊町から郡山に避難している方々の交流の場『空sora』には男女20人程集まっていらっしゃいました。
震災翌日からの支援で知り合う
私と大熊町の方々との出会いのきっかけは震災翌日。避難されてきたあの時の大熊町民の切実な訴えは今でも忘れられません。自己紹介をしながらその当時の話に触れれば皆さん「うんうん・・・」とうなずかれ、避難所や医療支援の話をしたら「あぁ?病院に行った行った!わたし世話になったよ。バスで避難所まで迎えに来てくれたんだよね」「あのとき隣の温泉にも行ったな」などの会話ができました。
お花見の話や線量計貸し出しの話も
再びお力になりたいとの思いを伝えながら、医療生協と桑野協立病院の案内をしてきました。配布した“みんなの健康”に載った写真を見て知り合いも発見!「顔を合わせて交流することは大事だね」と22日のお花見参加のお誘いもできました。線量計貸出や食品の線量測定の話では、「郡山では借りれず会津(大熊町役場)に行っての申し込みとあって手にできなかった。知人(組合員)から生協のことを教えてもらって測定できた」との事。組合員になる方法の質問もありました。
生協の輪を広げる中で
これから更に生協の輪をひろげ、つながっていくことは大切だなって思いました。
(師長室・七海)