2013年4月27日(土)
4月25日(木)午後6時30分から山手線大塚駅近くの東京労働会館ラパスホールで開催された「東京保健生協・9条の会」主催の講演会に参加してきた。講師は坪井院長。テーマは「人権と憲法を考える」。講師依頼に対して「このテーマであれば、僕ではなく専務ではないか」しかし私は、「核害の街で生きるはバージョン103になってきているが、東日本大震災、原発事故が起こり、私達がこの街で生き抜くために手探りで取り組んできた事を話す事は、このテーマにぴったりではないか」と話したところ、坪井院長は、速やかに「ガッテン」した。この感度の良さには感心する。
昨今の安倍首相を先頭にした憲法改悪の策動は、恐ろしいものである。東京保健生協9条の会は、ここ数年開店休業状態であったようであるが、急を要する情勢の中で9条の会を再開し活動を強化するために学習会が企画されたようである。その講師に、原発と被ばくから健康を守る戦いを進める郡山医療生協が選ばれた事は、光栄であり、この間の支援に対する恩返しでもあった。
私達の闘いを支えたもの3つ
未だ人類が経験した事の原発震災、目に見えない、臭いもしない、知識もない放射能被ばくとの私達の闘いを支えてくれたものは何か。坪井院長は、以下の3点を熱く強調された。
1.手探りの中で、この戦いで寄って立つべきものは日本国憲法しかなかった。主権在民と生存権の主張。それを具体化した医療生協の患者の権利章典これである。
2.全国の仲間の支援と連帯
○大震災・原発事故直後から物的支援、人的支援、知識や情報の提供があり、様々な全国での連帯行動により、自分たちだけが苦しんでいるのではない、仲間としてつながっている事を体感した。
3.専門家とのネットワーク
○手探りで始めた戦いを放射能の知識、被ばく予防など専門家とのネットワークに励まされた。
報告した事4つ
坪井院長は、郡山医療生協の取り組みについて自分の実践を踏まえて報告した。
1.原発事故の影響を核の公害:核害と認識した。
2.主権在民という考え方を基本にして民権運動を提起した。
3.事故後25年のチェルノブイリを視察し、郡山での放射線防護態勢を拡充してきた。
4.脱原発を現実化するため、第一原発5,6号機、第2原発1号から4号機から廃炉作業に入り事を要求します。