2013年7月16日(火)
3.11から、2年4ケ月を迎えようとしている7月上旬、全町民が避難生活を強いられている「富岡町」の小中学校(三春町の休業中の工場・管理棟に仮校舎)訪れる機会がありました。
午後3時ちょっと前、お掃除の最中でしたが玄関付近の子供たちは私たちに気が付くと「こんにちわ!」と元気な声で応えてくれ、サッとスリッパを出してくれました。事前に教育委員会を通じてアポを得ていたためか、教頭先生はすぐに校長室へ案内してくれましたが、応接セットや立派な机などはなく狭い部屋に簡単な机が4つあるだけです。「2つの小学校とやはり2つの中学校そして幼稚園が一緒にお世話になっています」「本来なら合わせて1,500人の生徒数ですが、小・中それぞれ31人づつです」「体育館はなく廃校になっている中学校の体育館まで、往復1時間近くかけて行って体育の授業をしています」「小学校卒業後も、少人数では部活ができないからと避難先の中学校に行ってしまいます」各校長先生から話される実態は、私のこれまでの認識をはるかに超えることばかりです。
さらに、「親御さんも生業を奪われ仮設暮らしで先の見通しが立たず、無気力に陥っているのでしょうが、子供たちの無気力な現状が本当に心配です」「学校に通ってくるだけでも立派だと思います」と話は続き、あっという間に予定時間は過ぎていきました。
改めて、現状をしっかり認識することがどれほど重要か、そして郡山を含めた現状を外部に発信していくことが、今何にもまして求められていることを思い帰路につきました。
(宮崎明人理事)